ドラッグレースの歴史

 ドラッグレースは、アメリカで生まれた。若者たちが自慢の車で電柱から電柱までの区間を競った事から始まった。

2台で同時にスタート、どちらが先にゴールするかを競う!仲間が増え、何時しか専用コースが出来、イコールコンデションで戦える規則のあるレースとして育った。現在本場アメリカでは、ナショナルイベントとして16戦。小さなイベントは、数千にも上る。本場アメリカが日本に上陸したのは、19895月富士スピードウェイにて、第1USAドラッグフェスティバルとして開催された。

 

・日本のドラッグレース

 日本では、公道でゼロヨンと言われ、19778年頃から若者たちが埋立地などを利用して競い合っていた。

 

1981年頃、雑誌社によってゼロヨン大会が行われた場所は、谷田部の自動車テストコース。1983年には富士スピードウェイにてカーショップクラブによってゼロヨン大会が開催。この頃は、0400mを競っていた。そして1984年 JAF公認団体ロードランナーレーシングクラブ(RRC)によって、初の公認競技として開催。距離もSS1/4マイル(402.33m)で行った。当時は公道を走っていた車がほとんどで、競技専用車の姿は少なかった。この時代のタイムは12秒台がほとんどで一つの目標が12秒を切る事。主流は、日産のL型エンジンやマツダのロータリーエンジン。


そして11秒台に突入、ビッグパワーエンジンをボディーの軽い日産サニーなどに搭載したマシンなども登場した。その後、1989年のUSAドラッグフェスティバルを皮切りに、トップフュ-エルドラッグスター、アルコールファニーカー、ガスドラッグスターなどがJAFに承認され、本格的なドラッグレースが開催された。

 

 この時期に日本ドラッグレース協会(JDRA)が発足。また、日本独自のワンメークによるドラッグレース(プロGTR)も開催。プロストックカーもパイプフレームにより、8秒台に突入。19912輪クラスも追加、翌年にはMFJ公認競技として開催。その後、日米対決、国際大会(アメリカ、オーストラリア、スエーデンetc)などを経て、二輪、四輪各団体が発足!!JDDA、BERC、JD-STERやアメリカンフェスティバルなど、ドラッグレースを開催してきた。しかし近年ドラッグレースは下火に、この問題を打開すべくJHRA 日本ホットロッド協会が発足!再びドラッグレースをメジャーなモータースポーツとして確率すべく立ち上がった。

 

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